Notelets

誰かのために何かを作る日々の断章。試論。仮説。フィールドノーツ。

みなさんはSpotifyどうですか。

 

音楽をストリーミングで聴くようになって数年。サブスクして数年。ときどき、「これでいいのか?」と思うことがある。

それほどたいしたことではない。ただ、漠然と、もうちょっと楽しい音楽ライフがあるのでは?と感じたりするだけ。

例えば、個人的に一番大きい要素は、思い入れの多寡。……その昔の、レコードやCDの時代と比較するとわかりやすいだろうか。

昔は、少ない予算をやりくりして、好きな一枚(か何枚か)を選んで買っていた(生まれてこのかた、十分な金を持ったことはない)。つまり、もうその時点で思い入れが強い。対して今は、♥をポチっとするだけ。それで、昔で言えば買ったことになる。自分のライブラリに入る。思い入れというよりは、関心、ぐらいのことも含まれる。

リアルなCDのライブラリは、紛れもなくマイ・フェイバリット・シングスだった(失敗したら、段ボール箱にでもつめておけばいい)。今の画面上のライブラリは、なんで♥したのかも覚えていないような曲orアルバムorアーティストで溢れている。そのうえソートとかカテゴリorジャンル分けとかあまりできないので……、いざ聴こうと思うと、ちょっと手間取ったりする。特にスマートフォンの小さな画面だと。それが気を削ぐ。

これは錯覚なのかもしれないが、iPod時代は、自分のライブラリを持ち歩けることにかなりの好ましさを感じていた。今も最終形は同じはずなのだが、何かが違う。シンプルさか。可能性、みたいなものか。

自分はあまりその嗜好はないのだが、コレクション的な楽しみもあった。中古屋で古いレコードを探したりして。それも楽しみのひとつ。

音楽を聴くのに金がかかるということは、つまり同じCDを何回も聴いたということでもある。通常はアルバムを買う。買ってしばらくは、そればかり聴く。……ということは、細かいことにも気付くことになる。はじめはピンとこなくても、後から好きになる曲もある。つまり、思い入れが強くなる。

今は、現実的に言ってなんでも聴ける。一枚のアルバムを聴く回数は、おそらく減っている。どんどん新しいものを探して、聴いてしまう。一枚一枚のアルバムへの思い入れは減っていく。もちろん、使い方次第、だろうけど。

とは言え、ストリーミング(とかYouTubeで聴くこととか)の悪口を言いたいわけではない。

言うまでもなく、今は楽曲へのアクセスが異常に簡単になったということは、多くの音楽に接することができるということでもある。

先日、テレビ番組でストラヴィンスキーについて特集していた。そういう高尚な音楽は苦手というか、生きていて接点がない。とは言えその時は、ちょっとおもしろそう、と思った。聞いてみたら、なかなかおもしろい経験だった。おそらく昔だったら、わざわざストラヴィンスキーのCDを買ってくることはなかったと思う。今は試しにさくっと聴いてみることができる。すごい。

あるいは、小説を読んでいて、何か音楽の話が出てきたとする。そうしたら、すぐにスマホで聴いてみることができる。素晴らしい。読みの深さにまで影響する。

かつてCD時代に、「ローリングストーン誌が選ぶロックの名盤100」みたいなものを順に聴いていったことがあるが、とても金がかかった。が、今なら……、実質タダですね。

さらに言えば、きっと、今の若い人たちは、もっといろいろ機能を使いこなして、自由に、豊かに音楽に接しているのでは、とも思う。すばらしい。レコード時代、CD時代を生きた自分は、過去に引きずられ、少し、鈍くなっている。冒頭のように、今のスタイルに違和感を持ったりする。もしレコードなりCDなりが好きならば、それを貫けばいいのだけれども、そこまでの気合いはない。非合理と言えば非合理。

単純に言えば、変わってきた、ということだろう。それは音楽の聴き方そのものだけでなく、なんというか、認知というか世界観というか、音楽のかたちというか。心の中で音楽の世界をどう見て、どう理解し、どう構築しているのか。例えば、レコード時代、音楽はある場所に固まって存在していた。ストリーミング時代は、薄く広く、散らばっている。そんなイメージを持っている。

そのこと自体に、良いも悪いもない。楽しければいいのでは。

おそらくさらに昔、ライブで聴くしかなかったころに初めて録音技術が現れたときは、同じように、これまでと今を比較した人がいたに違いない。「生演奏じゃないとあかん」とか言うヒトがいたりして。言い換えれば、今の「これでいいのか?」は感傷に過ぎない。……たぶん。そう言い聞かせて、今日もSpotifyで何かを聴く(アーティストに正当な報酬が届くことを願いながら)。