Notelets

誰かのために何かを作る日々の断章。試論。仮説。フィールドノーツ。

暖かくなってきた。何を着ようか。わからない。


ちかごろ、何を着たらいいのかわからない。(いや、正直に白状すれば、昔から。常に自分の服のセンスには疑問を抱きつつ生きてきた)

もう少しすると、いわゆる季節の変わり目。暖かい日が増えてきて、何かをごまかすように着ていたダウンジャケットに頼ることができなくなる。じゃあどうする。……わかんない。去年はいったい何を着ていたのか。いや、そもそも、季節など関係なく、どんな服を着ればいいか、いつもわからないでいる。

とは言え、もうそれなりの年齢になった。昔は、ちょっと良いものを着たいと思ったりもしたけど、今はもう、快適で、見苦しくなければいい。

 

▼しかし、あまりにテキトーに買ったりすると、妙にいまどきのデザインだったりして、気恥ずかしい。例えばベーシックなTシャツを買ったつもりが、今風の、大きめのシルエットになっていたり。何も知らないで、そういうのを着ているのはこっぱずかしい。流行に乗るのもなんか違う。

「自意識過剰、誰もお前のことなんて見てへんわー」、というのはまったくその通り。だと思うんだけど、まあ、そう感じる自分がいるのだからしかたがない。まったく他人の目を気にしない人もいるだろうが、そういうタイプに生まれたわけではなさそうだ。

なんだかロゴがでかい服も多い。アウトドアブランドのものとか。あれはなんなんだろうか。よくわからない。ロゴを付けないとなんだか物寂しいというのはわからなくもないが、しかし、ね。やっぱりどこかこっぱずかしい小市民。

ロゴ、ということでいえば、ハイ・ブランドのもちょっとよくわからない。さっきも「LV(どうだ!)」みたいなバックルのベルトをしている人を見かけたが、どういう価値観なのだろうか。「わたしはハイ・ブランドを身につけるのにふさわしい人間なのだ」ということだろうか。自信がおありで羨ましい。自分など、その境地には一生達することができないだろう。

詳しくないけれども、コム・デ・ギャルソンなんかはあまりそういう主張をしないので好ましい。しかし、複数のギャルソン製品を同時に身につけている人は、若くして中国でひと山あてた人かな、と思うようになってきた。それか、アート系に片足を突っ込んだ起業家か。すばらしい。クリエイティヴでイノヴェイティヴな、新時代の経済は任せた。儲けてくれ。

ナイキなんかの、派手なスニーカー。あれもわからない。いや、わからないというか、さすがナイキ、昔からマーケティングが上手いよね、という感想。聞けばン十万で限定もののスニーカーを求める人がいるそうだが、ホント、世の中はおもしろい。そうしたマーケティングに乗っかる人も、楽しんでいらっしゃって慶賀の至り。いや、スニーカーも、もはや「文化」なのかもしれない。「土用の鰻」は平賀源内のマーケティング用のコピーライティングだったそうだが、それも今や文化。

安価なもの、つまり自分にも買えるものでも、油断しているとおかしなことになる。例えば、コピー品、とでもいうのか、あるメーカーが創りだした流行のスタイルを、それっぽく安価に作り直したフォロワー商品みたいなもの。ジェネリック商品、とでもいった方がいいか。そういうものを身につけてしまうことがある。しかしこれも、ある段階を過ぎれば「ベーシック」となる。その境界線はあいまいだ。何より自分の情報力・センスでは、区別がつかない。

機能一辺倒、みたいな服装をする人もいる。たいてい大きなリュックをしょって、ストラップとかヒモとかが体のあちこちから出ていたりしてゴテゴテした印象の人たち。もちろんなんの文句もないが、個人的な感想を言えば、ゆとりがない感じがして窮屈な印象を覚える。けど、もちろんそれはこちらの感想に過ぎない。きっと機能を追求する楽しみがあるのでは、何か別の次元の目的があるのでは、と想像する。

 

▼……とかなんとか、そんなことを言っていると、着る服がなくなる。今は、冒頭に書いた通り、快適であればいい。しかしあえて理想を言うならば、「キマっているじじい」な服に憧れる。

キマっているというのは、けっして某雑誌が作り上げたイケてるオヤジ像、みたいなことではない(あれは見事な仕事だったと思うのだけれど)。

いや、確かに、往年のショーン・コネリーやらダニエル・クレイグのようなじじいになれるなら、それはそれで好ましい。が、たいていの日本人には難しい。ように思う。

なにより、不思議なもんで、日本人のオヤジがおしゃれにバリっと決まっていると、なんだか嘘くさい。理由はよくわからない。キメキメのおじさんを見ると、あまりお友達になりたいと思わない。いや、上に挙げたようなイギリス紳士風味のスタイルならまだしも、イタリアかフランスかのラテン風味だと特にやばい。……いやまあ、これはこちらの偏見、思い込みなんだろうが。

そういうのではないく、なんというか……、普通の服を着ているし、おしゃれでもなんでもないが、キマっている。そういうのが理想。これがどんなものか、言葉でうまく表現したいのだが、難しい。

サイズが合ってないとかみすぼらしいというのはもちろん違う。汚れているのも避けたいが、しかしそれが「作業着」ならばむしろ少しは汚れていて欲しい。もちろんGUやらユニクロでいいのだが、同じような服を着ている人が多いだけに、「着せられている」感じになってしまうことも多い。

体に服が馴染んでいる。サイズやら丈やらも適切。華美でない。その服を着ていることが、納得がいく。周囲にも馴染んでいる。自然である。かつ、ビンボくさくない。……そんなことになるか。

言ってみれば、「板に付いている」というのが近いのかもしれない。その人の肉体的条件と、居場所というか環境みたいなものと、服が調和している。役者と舞台が、しっくりきている。……そんな装いが、理想。たまにそういう人を街で見かけると、楽しくなる。

そう考えてみると、前に挙げたロゴがでかい服も、「LV(どうだ!)」のバックルもあれこもこれも、それにふさわしい場所、というものあるのかもしれない。そうしたスタイルがしっくりくる場所があるのかもしれない。

……それってもしかして、いわゆるTPO?

いや、TPOという言葉には、「ルール」な感じがつきまとう。束縛や抑圧を感じる。そういうのは好ましくない。そうでなくて、板についているかどうか。その人の「スタイル」と言ってもいいのかもしれない。やはり理屈では説明できない。ただ、「見ればわかる」。そういうもののように思える。