Notelets

誰かのために何かを作る日々の断章。試論。仮説。フィールドノーツ。

打合せの道具を眺める遊び

打合せや取材の時、ついついひとさまがどうメモをとるのか見てしまう。

観察、というほどのことではなく、失礼ながら、みなさんがどう仕事をしているのか少しのぞき見させてもらうのが楽しいというそれだけ。自分にちゃんとメモを取る能力がないことを自覚していて、書ける人が羨ましいのかもしれない。近頃はオンラインが多くて、相手の様子はよくわからなかったりするのが残念だ。

今となっては、ノートPCでメモを書く人が多い。自分もやる。なんと言っても書いた後が楽。後に少し手直しして、議事録としてSlackのようなものやメールで共有できる。速い。Zoom等の場合なら、テキストエディタEvernoteの画面を共有して、ホワイトボードのように使ったりもできる。

対面での打合せでは、紙のノート的なものを使う人もまだ多い。こちらの方がバリエーションが多くて、見ていて楽しい。

普通の、100円かそこらで売っているボールペンを使っている人が多いだろうか。三菱のジェットストリームパイロットのフリクション……等々。その辺にあったもの、という人も多いだろうし、書き味が好みで、あえて選んでいる人もいるかもしれない。

マイナーなものを使っている人はこだわりがあるのかもしれないと思い、楽しい。例えば油性ボールペンの場合、0.38mmとか、すごく細いものを使っている人。細かく書き込むというのが快感なんだろう。逆にあえて太い人もいる。おじさんが多いように思える。1.0mmとか、時には1.3mmとか……。個人的には太い油性ボールペンはムードがあっていい。野外や現場、つまりなんらかのフィールドで実用的、という感じがある。ノートの罫線など無視して、ざっと書き殴る。いい。

筆記具に関しては、こだわるとキリがない。高級な方に関心がいく人も、少数ながら存在するようだ。一番分かりやすいのは、モンブランの万年筆をおもむろに机に置く人。10万オーバー。……ただし、それで実際に何かを書いている人は見たことがないけど。

それほどでなくとも、ちょっと高級なもの、という場合もある。金の金具とかクラシックなデザインとか。パッとみただけでメーカーが分かるほど詳しくはないけど、それらしきものを使う人もいる。……でも、総じて、やはり高級な筆記具を持つ人が、実際にメモを書いているイメージは……あまりない気がする。

個人的に言えば、日本メーカーの5,000円以下ぐらいの筆記具は、どうにも不安定に見えてしまう。デザインされているのか単にそれっぽいのか、よくわからなかったり。特に多色ボールペンなんかは、どうにも落ち着かない。とは言え工業製品、そしてその値段というのはそういうものだと思う。

5,000円以下でも、ロットリングのマルチペンは落ち着く。実用品を堅牢に作りました、この値段です。……とドイツ人が言っているのがイメージできる(妄想)。特にペン先を引っ込めるアクションがいい。クリップを開く動作で収納できるのだが、この方式だと、シャツのポケットに挿しておく時、必ずペン先を引っ込めることになる。ので、シャツをインクで汚してしまうことがない。よく考えられている。

価格的なことを言えば、総じて海外製品は、安くても納得できるデザインであることが多いように思う(見た目的な意味で)。LAMYのSafariはどれも納得できる。ただし、細部の精度や実用的な性能はまた別の話で、実際にがつがつと使うものを選ぶとなると、日本製を手に取ることも多い。

特にパイロット製品。これは個人的な思い入れだけれども、パイロットの製品はどれを使ってみても納得がいく。油性ボールペンならアクロボールシリーズ。おそらく多数派のジェットストリームもいいけど、自然とアクロボールを手に取っている。これはフィーリングに過ぎないけれど、ジェットストリームは「インク出過ぎ」と感じるのかもしれない。それと、アクロボールの方がやや黒い。黒が本当に黒、というか。ボールペンなのに消せるフリクションも便利だし、安価なシャープペンシルも信頼感が高い。細部の精度が高くて、使っていて不快なところがないのだと思う。

パイロットは万年筆もいい。「カスタムxx」というシリーズがメジャーだろうか。海外製品より数割安く、安定性とか書き味とか、機能面ではずいぶんとハイクオリティに思える。数千円の万年筆も納得がいく書き味だし、1,000円のカクノというのも良かった。もっとも海外の高級品をたくさん使ったことがあるわけではない。ただ、少し古いモンブランは使っていて、確かに良いものではある。

……個人的なペンの好みの話ではなかった。打合せのメモの話。

書くものじゃなくて、書かれる側(?)、紙の方。これもいろいろある。

やはり多いのはノートだろう。そしてノートと言えば、コクヨのキャンパスノート。どこにでも売っていて、安く、ただ「ノートを買おう」と思ったらコレになりそうな気もする。

キャンパスノートは、実はかなりすごいノートだと思っている。何がすごいって、その「綴じ」について。まず、開いたときにピシっと平らにできる。紙が浮いてフカフカしたりしない。これはノリで綴じてあって、しかも精度が高いから、と理解している。そして、にも関わらず、強い。ノリ綴じのナマクラなものは、耐久性がないように思う。紙質は普通に使って問題なく、そしてトドメとして、安くてどこにでも売っている。

綴じノートで思い出すのは、ツバメノート。これは紙がいい。溺愛している、と言っていい。けど、打合せで使っている人は……、あまり見ないかも。好きな人は多いと思うのだが。個人的にはこれがレギュラー。

その他、リングノートの類いも本当にいろいろあって、見ていて楽しい。ミケルリウスの分厚いA5ノートなんかは、アメリカの大学生のようで、「ああ、この人は大量に書く人だ」と思ったりする。書いて考える人かな、とか。

ロルバーンというのもよく見る。厚めボール紙の表紙と、黄色い方眼紙。きっとノートの類いが好きで、かつヘンなこだわりがないまっとうな人なんだろうか、と妄想したりする。

手帳、というかスケジュール帳orダイアリーのようなもののノートページに書く人もたまに見るが、ページ数は足りるのだろうか、と不安になる。それほど書く量が多くないか、とてもすっきりまとめられる人か。

ノートじゃなくて、パッドの類いのこともある。いわゆるレポートパッド、みたいなもの。この場合に気になるのは、書いた後どうしているのだろうか、ということ。

つまり、書いたものは綴じられていないペラっとした紙になるわけで、散逸しやすい。扱いが難しい。スキャンしたり、案件ごとのフォルダに投げ込んだり、あるいはパッドでも切り離さずノートのように使っているのか……。細かい人は、パッドに書いて、後でデジタルデータに書き直したりするのかもしれない。

かつて実際に遭遇して印象的だったのは、某財閥系研究所の人。A4のノートパッドに、0.3mmぐらいの極細ジェルボールペンで、5mm方眼に合わせた文字をびっしり書いていた。チラっと見えた感じでは、広い紙面が、その細かい文字で黒々としていた。いかにも研究職っぽい感があって、まったくもっていい加減で整理の悪い自分から見ると、その精度がちょっと羨ましかったりする。

打合せではないのだが、喫茶店で見かけた白人の女性のことも思い出す。キャンバスの素っ気ないバッグに雑多なノートを数冊。手元には無印良品と思しきノートを置いて、あれこれ書き付けていた。時々バッグの中のノートを参照して、また手元のノートに何ごとかを記す。執筆を生業とする人か、あるいは人文系の研究者か。いい景色だった。サマになっていて、ほれぼれした。

文筆家であれば、その構想ノートとか取材ノートみたいなものを見られる機会がある。例えば司馬遼太郎であれば、『司馬遼太郎が愛した「風景」』のような、作家についての本で見られる。記念館、のようなところでも見られる。

なんにせよ、その人のこだわりというか、スタイルというか、方法というか……を見るのは楽しい。あえてこだわらない、というのも含めて。みなさんに幸あれ。