Notelets

誰かのために何かを作る日々の断章。試論。仮説。フィールドノーツ。

終わらせる、あるいはパンツ2枚捨てること


何かが行き詰まっていたり。うまくいかなかったり、やる気が出なかったりする時。

そういう時、思う存分もがく or あがくのもいいと思うが、「終わらせる」のもいいのではないかと思う。子どものころ、新しいノートを買ってもらうと妙にやる気が出たりした。それと同じ。例えば……、

 

▼本を読んでいて、いまひとつグっとこなくて、つまらなくて、進まなくなったら、終わりにする。その先は読まない。あるいはざっと目を通して、読んだことにする * 。いったん本棚や段ボール箱にしまってしまう。読みかけの本をぜんぶ片付ける。そして新たな気持ちで、小躍りしながら本屋さんに行く。

* 以下を参照のこと……。
 『読んでいない本について堂々と語る方法』https://amzn.asia/d/8wnyEoe>
 『積読こそが完全な読書術である』https://amzn.asia/d/1SkNz1w

 

▼その作業中のファイルたちを、いったん「古い」フォルダにまとめて、新たにテキストファイルを一枚作って、そこからやり始める。

それまでの作業ファイルは、いったん置いておく。見えなくしておく=終わらせて、そしてゼロから始める。できれば顔を洗ってくるとか、新しくお茶をいれるとか、そんなことをして。新たな気分で、また取り組んでみる。古いファイルを参照したくなるけど、それはちょっと後にする。

非効率に思えるかもしれないが、しかし、一度自分が通った道ならば、意外に速く進んだりする。

 

▼PCやスマートフォンを買い替えて、ゼロから構築し直してみる。余計なアプリやウィジェットを捨てて、本当に自分が必要な、ムダのない、快適な環境を作り上げる。後で必要になったら、また入れればいい。

壊れる前に新しいマシンにすれば、いざというときには旧環境を使える。復旧できる。心置きなく新しいものを導入できる。2年に一度、とか、決め事にしてもいいのかもしれない。

 

▼同様に、アプリケーションを終わらせてもいいかもしれない。Evernoteを終わらせる。別のノートテイキングのアプリケーションを使い始める。サラの状態からやってみる。それが「重い」とするならば、ブラウザのブックマークを整理したりしてもいいかもしれない。

 

Twitterのフォロワーを整理してみる、というのもある。その昔、なんとなくフォローしたけどもはやなぜフォローしたか覚えていないアカウントは必ずある。もはや興味がなくなったテーマのアカウント、更新が止まっている人……等々、整理して、今、本当にGood Vibrationな or 必要なアカウントのみをフォローして、また始める。心配な人には、フォロワーのリストをダウンロードしておけるサービスもある。

その他のSNSや、RSSリーダー等も同じ。デジタルツールは、放っておくとどんどん情報が蓄積してしまう(雑誌の定期購読と比べてみるとわかる)。だから、すっきりさせておくタイミングがあった方がいい。

 

▼その、紙のノートを新調することもよくやる。あれこれネタ帳 or 日誌的に使っているノートを、新たなものにしてしまう。あるいは、新たなことを始めようと思ったら、それ専用のノートを新しく1冊用意する。1970年代の評論家(?)の植草甚一が、そんなことを書いていた。楽しい一冊。https://amzn.asia/d/5DOs8DG

 

▼冷蔵庫の中身、みたいな生活のことでもいいかもしれない。買ったりもらったりしたが、使っていないもの。もったいない、と感じて捨てられなかったモノ。そういうのを全て終わらせる。服、下着、靴……のようなものもある。今、必要なものを挙げてみる。その上で、不要なものを処分する。襟の伸びたTシャツとか、ユルユルになったパンツとか……、捨てる。まだ着られるものなら、寄付したり売ったり。そしていったん、自分の着るモノをシンプルにして、全て把握し直して、コレでいい、と納得できるところまでもっていく。そのうえで、新たにまた必要なものを加える。

そういう生活のことだったり家のことだったりは、片付け術みたいなものをいろいろな人がいろいろなことを言っている。参考になるのではないか。その最も大がかりな行動が、引っ越しかもしれない。

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いずれにせよ、そうした、普段の生活や仕事でかかずらわっているなにかを、終わらせる。リセットする。リニューアルする。楽しみでもなく、成果も出ず、ただ過去からの流れで存在しているようなもの。惰性。沈滞。鬱積。そうしたものを終わらせる。

 

▼もったいないとか面倒とか

確かに、その作業はエネルギーがいる。もったいないとか、まだ使えるかもとか、昔好きだったから捨てるのにはしのびない、と思ったりする。あるいは単に、面倒。

そんな、その気にならない時は、別にやらなくてもいいと思う。

でも、小さく始めてみるのもいいかもしれない。例えば洗面台の、今はもう使っていないようなものを捨てて、ついでに掃除してみる、とか。

 

▼生まれ変わり、という知恵なのであるなあ

ある意味、生まれ変わりの儀式、と言えるのかもしれない。それまでの重荷を下ろして、新たな自分を始める。エネルギーを消耗させる過去を横に置いて、新たに動き出すことにエネルギーを割り当てる。

企業でも、配置転換や昇進といったシステムで、終わらせて、生まれ変わるタイミングを意図的に作っている。

人の生には、昔から、節目がデザインされている。入学や卒業、就職、結婚……等々。引っ越しに関して言えば、その道にとりつかれていたのでは、という偉人達の話も聞く。永井荷風江戸川乱歩、ベートーベン……おそらく、そういう生まれ変わりの作用を、創造することに使っていたのではないか。

その昔の人々も、そういうことをしていたように思える。例えば武家の男子は、よく改名した。あるいは元服という儀式で、新たな役割と自覚、人格を与えられる。それが組み込まれていた。

宗教の世界でもある。例えば禅僧は、決まった日に選択をし、頭をそり直して……と、リフレッシュするタイミングが修行に組み込まれている。そもそも、僧門に入ることがもう生まれ変わり。「禅とは、巧妙に設計された精神の訓練法である」と看破したのは梅棹忠夫(うろ覚え……加藤周一だったかも)。

民俗学者宮田登によれば、武家や僧だけでなく、市井の人々の祭りや各種の儀式にも、生まれ変わりの意味があるという。

 

 

だいたい、週とか月とか、あるいは二十四節気とか、そういうものも、気分を変えるためのものでもあるだろう。聖書時代からの知恵、と言えるかもしれない。

神話の研究者で、『スターウォーズ』のネタにもなったというジョーゼフ・キャンベルは、インドの例を挙げている。

"インドには 、ある段階から別の段階に進むごとに 、服装をすべて変える 、自分の名前さえ変えてしまうという伝統があります 。私は教職を離れるとき 、新しい生活スタイルを創造しなければならないと自覚していましたので 、いまのインドの伝統にのっとって 、自分の生活に対する考え方を一変させました 。"

 

 

◆◆◆

 

逆から見れば、終わらせるということは、新たなことに集中する、ということにつながる。

集中が、何ごとかをなすための第一条件だと、年々強く思うようになってきた(「集中」ではない)。片手間でできる仕事はそれなりのものに過ぎない。

そのために、終わらせることができることは終わらせる。だいたい、世の中はそうやって勝手に終わらせることができないことがほとんどなのだから、自分のことぐらい。

そのうえで、次へ行く。「重たい」ことができなかったら、髪を切るとか風呂の掃除をするとかパンツを2枚捨てるとか、本棚から処分する本を1冊抜き取るとか……、なんでもいい。


……などと、駄文を書いてみた。なぜなら……、そう、年末の大掃除が面倒で気分がのらないから。パンツ2枚捨てたところで手が止まった。ので逃避。……斯様に、生活は難しい。南無。