Notelets

誰かのために何かを作る日々の断章。試論。仮説。フィールドノーツ。

何かに支配されながら『チェンソーマン』を読む

いやー、『チェンソーマン』、いいですね。

マンガの世界のことは疎いけど、すごい、と遅ればせながら感嘆。(マンガをカラー版で読んだ。アニメはまだ)。

バトルもの、ヒーローものとしてマーベル作品を見るように、あるいはおそらく作者が好きなんじゃないかと想像するタランティーノ映画に入り込むように、そのスタイリッシュさを存分に楽しんだ。

専門的なことはわからないけど、コマ割りや「カメラワーク」みたいなものにもぐっとくる。なにより一枚一枚の絵が美しい。

https://www.shonenjump.com/j/rensai/chainsaw.html

……という楽しみ方が王道のように思うけど、しかし、一方であえて深読み、否、以下の場合は誤読して楽しむ余地も与えてくれる。単に何かを志して→戦って→負けて→強くなって→勝って……というシンプルなカタルシスのお話ではない(もちろんそれはそれでいいのだけれど)。多様な読み方もできる、というのは優れた作品の特徴かもしれない。

例えば、「欲望」という言葉をキーワードにしてみたり。欲望が、悲しい。

もちろんたいていの物語が欲望を描くんだから当たり前だけど、ホントに少年ジャンプで連載してるのかという描き方。

(以下、どうでもいい素人の感想ですが、少しネタバレを含みます)

 

物語は、極貧の主人公のデンジは「トーストにジャムを塗って食べたい」というところから始まる。ごくごくつつましい、食という欲望。そこから公安に飼われる生活が始まって、それまでと比べれば夢のような食い物を目にして、それを実際に食べられるようになる。欲望を満たされる場を見つけたデンジ。飼われる、というのがふさわしい。

他にも、スナック菓子が散らかる「ダメな」食卓。アキやパワーとの家庭的食卓のシーン。コベニちゃんとヴァンバァガァとアイスを食べようとするのは、デート。血を飲むのも食。食という欲望は多様な描かれ方をする。何より、結末も食べることに関係する。

食とならぶ欲求である、性のこともある。もちろんそれは簡単には満たされない欲望だけど、少し。そしてその一部を手に入れたら「アレ、思っていたほどたいしたもんじゃない……」となったりするのもおもしろい。少年誌でなければ、もっと描けていたに違いない。

また、これは欲求と言った方がいいかもしれないが、アキの、誰かを守りたいという破滅的な心。傷。その結末。

しかしより重要なのは、それら欲望すべてが、「支配」のために利用されているということ。欲望をフックに、操られているということ。大げさに言えば、今の現実の世の中も、そういうところがある。特に、マスメディアが発達してから、人は欲望を操られてきた。広告屋が作った虚構、例えば理想の暮らしや完璧な自己像を実現しようとしてきた。「映える」ことに心血を注いできた。……というのは野暮な指摘だけれども。

その欲望のコントロールによる支配を行う者は、欲望という、人のある種のダメな部分とも言えるものを認めない。ダメな映画を作る自由も認めない。一方で、この支配も、欲望と言える。「自分より程度が低いと思うものを」支配できるという禍々しさ、そして虚しさ。しかし、その実、対等な関係を作ることを欲していた。……というのも、単なるバトルものを越えた物語。

ざっくりとまとめてみれば、欲望の、ある種の虚構性。虚しくなかったのは、デンジとパワーやアキとのつながり。いや、最後に「一体となる」ことも、何かの希望を物語っているのかもしれない。

 

……とかなんとかいうヘリクツを吹き飛ばしてしまう、地獄のヒーローのでたらめさ。それが真骨頂。『ブルース・ブラザーズ』とか久しぶりに見たくなった。