Notelets

誰かのために何かを作る日々の断章。試論。仮説。フィールドノーツ。

あまりあたまが良くないらしいので、紙を使うこととか

未だに、紙を使う。スクリーンだけ、モニターだけでは捗らない。

もうかれこれ30年以上はスクリーン、というかコンピュータを使い続けてきた。PC98とか、♪人々のHiTBiT、とかなんとか、昔話をしてもしょうがないけれども、それなりに馴染んできたつもり。スマートフォンもiPhone3Gからずっと。……しかしそれでも、未だに紙とかノートとかペンとかに頼っている。

一方で、もはやデジタルデータからは逃れられない。何かの情報を蓄積しておくのに、今はEvernoteを使っている。これなしではちょっと困る。

通常、仕事のメモをとるのには、キーボードでパチパチ(あるいはリアルフォースを使ってスコスコ)とやった方が速い。特に今はオンラインのミーティングが多い。その場でメモを取りながら、その画面を共有しながら進めるとすっきりと進む。そのまま議事録にできる。

仕事や生活上で残しておきたい情報も、スクリーン上からやってくることが多い。その場合、ワンクリックでEvernoteに収められる。とっさのメモも、スマートフォンならたいていの時と場合に身につけていて、時機を逃さない。

……などと考えて行くと、紙など使わずにデジタルに集約してしまった方が便利だと思う。理屈で言えばそうなる。書いたモノがコンピュータと紙に分散しているのは美しくない。一箇所にまとまっているのが理想だ。デジタルなら何年か前に書いたモノもすぐに検索できる。自分の文字が汚くて判読不能ということもない。

たまに対面のミーティングをした時、ノートを取り出すと、旧人類になった気になることもある(IT戦士な人たちに囲まれている時)。メールにコピペするとか企画書に流用するとか、そういう再利用ができないのも不便。書き直さなければならない。

などと考えて、デジタル一本槍にした時期もあった。いや、ずっとデジタルオンリー化を試し続けていると言ってもいい。しかし、毎回必ず、手書きに戻ってしまう。手書きがしたくなってしまう。


なぜ手書きをするのか、その理由についてずっと考えてきた。

図みたいなものが書きやすいとか、ペンとノートが気持ちいいからだとか、PCなりスマホなりの操作のことを考えずに書く内容だけに集中できるからだとか、単なる慣れとか。あれこれあれこれ。

もちろんそういうものもあると思うのだが……、今の結論は、

 ⇒そんなに頭が良くないから

……というところに落ち着いている。

文字という表象というか記号だけで考えられるほど、自分の前頭葉はスマートじゃない。

腕やペンも含めた「身体性」を使うことは、おそらく考えたり覚えたりすることの助けになっている。キーボードで書くのは、脳的にはかなり「自動処理」になっていると思う。手書きもそういう面がありつつも、しかしより多くの感覚を使っている。言い換えれば、刺激がある。

紙の版面をある種の位置情報として使って、考えを構造化したりする。わかりやすい例で言えば、紙の右上のスペースを「本筋とは関係がないがメモっておきたいもの置き場」にするとか。マインドマップでもフィッシュボーンでもツリー構造でも、各種のマッピングを行うことで、考えを整理したり発展させたりするのは、基本的なテクニックと言っていいだろう。それが最もやりやすいのはが、紙とペンだ。

マルジナリアというか、本の余白を自分の内側から出てきた情報の置き場所として使うのも、読書の助けになっている。(これはKindleなどでもかなり近いことができるけど)

1冊のノートの「このへんに書いた」という記憶も何かの手がかりになっている。デジタルで書いたものは、すぐに書いたことを忘れてしまいがちだが、ノートに書いたものは記憶に残っている。それが考える時のよすがになる。紙の本を読むのも、同様に「このへんに書いてあった」という情報をたびたび使っている。

言い換えれば、スクリーン上の情報は、位置情報も物理的存在も持たず、筆者の脳ではうまく扱えない。何か、ふわふわと目の前を横切るシグナルに過ぎない。つまり、文字や記号、数字だけで考えらるほど、頭が良くない。それだから、記号そのもの以外のあれこれの力を借りたい。その最も身近な道具が、紙である、という話。


少し大げさに書いたかもしれない。前述の通り、キーボードで書いていることは多いし、普段からやっているような企画仕事などは、デジタルだけ、スクリーンだけで完結していることが多い。スクリーンだけではいっさい考えられない、ということではない。特に膨大なデータを扱うような時は、スクリーンがいい。

スクリーンで考えるための工夫もしている。テキストエディタを分割表示して、なるべく多くの情報を一覧できるようにするとか(個人的に、一覧性、つまり情報を一目で見渡せるというのはかなり重要なのではないかと思っている。気の利いたテキストエディタには、そういう機能がある)。テキストデータでもアウトラインの機能を使って構造化するとか。

ただ、何か少し複雑なこと、例えば重大な意思決定とか、あるいはこれまでとは違う斬新なアイデアを出したい時とか、生活や仕事のパターンを根本的に変えたいとか、自分の無意識の前提に切り込むような時とか……、とにかく普通と違う答えが欲しかったり、あいまいさや複雑さが高い時。それが紙を使わずにはいられない時だ。


おそらく、紙を使わなくなった、手書きをしなくなったという人は、頭の中で情報を扱うのがうまいのだろう。数学に強い人などは、記号のみで考えることが得意なのでは、と想像する。本当にデジタルネイティブな若い方たちは、きっと違う脳の仕組みをしているだろう。あるいは、近頃はスマートフォンだけで仕事ができる人がいるらしいけど、そういう人もすごい。たぶん、筆者とは頭のデキが違う。

とは言え、与えられたもので勝負するしかない。配られたカードで勝負するしかない(©スヌーピー)。巨大なジェット機の操縦桿が今も変わらずクルマのステアリングのような形をしているのと同じように(何かもっとハイテクな操縦方法があっていいはず。電子制御のかたまりなんだから)、紙を使うのにも理由がある。……などと牽強付会して、紙を使い続けている。

 

=================

以下、ちょっとだけ補足。蛇足。

▼「一覧性」のこと
何か考えたり意志決定したりする時の「一覧性」については、たぶん昔から多くの人が言及しているように思う。

パっと思いついたのは、例えば↓

発想法 改版 - 創造性開発のために (中公新書)   川喜田 二郎
https://www.amazon.co.jp/dp/4121801369/

有名な発想の技術指南。フィールドワークなどで集めた情報を一覧して、そこから何か言えることを見いだす、という方法。

考えるということ 知的創造の方法 (河出文庫)   大澤真幸
https://www.amazon.co.jp/dp/B01MUF21ZD/

巻頭で、具体的な手法を明かしている。そのキーワードは「一覧性」。

 

▼「位置情報」について
こういう書き方をしたのは、下記の本に影響を受けたから。

脳は世界をどう見ているのか 知能の謎を解く「1000の脳」理論   ジェフ ホーキンス
https://www.amazon.co.jp/dp/B09XV35SNR/

惹句には、「思考とは、座標系内を動き回ることに他ならない。」とある。正直よくわからないで言っているのだけど、自分なりに解釈し、位置関係というのは重要そう、と思っている。

記憶術で「部屋」とか「宮殿」のメタファーを使うらしいけど、それも位置関係が重要だという傍証のようにも思える。

……とは言え全体として、素人の曲解、誤読。

 

▼「飛行機の操縦桿」について
元ネタは、高名な認知学者の本。最近、文庫になって再版された。

人を賢くする道具 ――インタフェース・デザインの認知科学 (ちくま学芸文庫) D.A.ノーマン
https://www.amazon.co.jp/dp/448051127X/

以上。