Notelets

誰かのために何かを作る日々の断章。試論。仮説。フィールドノーツ。

「手帳」という憧れの景色

時々、フと「手帳ってもっと有効につかえるんでは?」などと思って、検索してみる。

……と、なんだかすごい。いろいろな人がいろいろな工夫をしている。使いこなしている。その技術がいろいろ整理されている。

それにこの季節になると、来年の手帳が文具店だけでなく書店でも並び出す。そしてびっくりするぐらいバリエーションがある。それだけ売れる=みなさん有効に使っていらっしゃる、ということだろうと思う。

翻って自分のことを思ってみれば、まったく使いこなせている気がしない。「そうかやはり俺はそちら側の人間ではないか」と妙な納得をしたりする。テキトー部族。だから何か手帳のようなものを使いこなしている景色には、憧れたりもする。しかし、納得のいく手帳を作れたためしはない。

スマートフォンが出てからは、そのやりきれていない感じが加速した。アポイントもメモも、それで済む。より手帳の存在意義がわからなくなってくる。道具が二重になって、むしろ管理の方法があいまいになる。

手帳を使いこなしている人には、何か秘訣があるのだろうか。あるいはそもそも部族が違うのだろうか。

とは言え、未だに、かろうじて、紙の手帳を使っている。毎年買っている。有効に使えているかははなはだ疑問。とは言え、後で見返したらそれも一興かも、ということで、試しにどう使っているか書き残してみる。


自分の場合、強いて言えば「大きな流れ」を掴もうとしているかもしれない。考えてそうした、というよりは自然にそうなってきた。

大きな流れとは、例えばこの先1か月〜3か月くらいのスパンでの仕事の波予測・予報とか。あるいは過去半年、どんなことを考えてきたか、とか。そういうスパンの流れ。

デジタルではこれが意外にやりづらい、という感触を持っている。例えば、Googleカレンダーで、「その月に関するメモ」は書けるのだろうか。例えば、

「9月は集中的に横溝正史を読み返す」
「4〜7月 主に鎌倉時代について調べていた」

……とかなんとか。きっと書けるのだろうが、いずれにせよあまり直観的ではない書き方になるのではないか。紙の手帳だと、ざっくりとどこにでも書いておける。そして視界に入る。

カレンダーにせずとも、例えばメモアプリにそういうことを残しておいてもいいかもしれない。が、やはりあまり直観的・シンプルにならない感触がある。他のメモと紛れたり、紛れさせないためにフォルダ分けや小細工をしたり……。ならば、紙の手帳にサっとメモしておいた方がわかりやすい。……という感触を持っている。

逆にというか何というか、ごく一般的に手帳に書きそうなことは、だいたいデジタルでやっている。つまり日々の細々としたメモやタスク、もちろんアポイントの管理も(住所録というものは生まれてこの方持ったことがない)。

では、紙の手帳に何を書いているかと言えば……↓↓

▾過去のこと(実績)
    ・取り組んでいた仕事
    ・読んだ本
    ・考えたこと(の見出し)
    ・やったこと

▾未来のこと(見通し)
    ・(一応)アポイント
    ・その週・月・四半期・年等のざっくり計画、目標
    ・作業に取れる時間枠
    ・ふんわりした「これしたい」みたいなタスク、願望
    ・重要なイベント

こういうものがあると、少し安心する。何か少しでも為すことができた気がする。あるいはこの先、どのくらい時間があって何をできるのかできないのか、仕事を引き受けていいのか引き受けるべきでないのか……、が見通せる(妄想かもしれないけど)。

言い換えれば、少し賢くなったような気がして、真人間になったような気がして、精神衛生によろしい。日々の忙しさやストレス、嫌な気分、惰性……等々に左右されてしまう感覚に反抗できる。実際は環境や状況に流されているのは間違いなく、しかしそれでも、多少なりとも自分でコントロールしている感があった方が……、今のところはいい。

「イライラは見通しのなさ」と言ったのは河合隼雄だけど、確かに、見通しがあった方がいいように思う。おそらく手帳を使わない人も、何かしらの形で同じ効用を作っているのではないか。


ただし、考え始めると、今の方法はなんだかスマートじゃないと思うのも確か。

手帳があり、Googleカレンダーがある(日常の業務で、仲間と共有している)。今抱えているタスクをまとめたテキストがある。日誌があり、そこにも「やったこと」が書いてある。一元管理できていない。

手帳に書いてあるアポイントとGoogleカレンダーにあるアポイントは当然ながら手作業の同期で、原理的にマージ漏れが発生しうる。

何かを記入しようと思ったら、Googleカレンダーと手帳、両方に記入しなければならないというダメな感じ。

思えば、昔は単純だった。手帳が一冊あって、そこに全てが入っていた。アポイントもToDoも連絡先も。それを見れば万事OK。……というのは過去を美化しているかもしれないが、今よりシンプルだったのは確か。今、そんなシンプルさはむしろ贅沢と言えるかもしれない。


……などと書いてみると、なにやらいろいろ工夫していると思わなくもないが、しかし一方で、計画至上、意志の力でのコントロール至上、と思っているわけではない。偶然とか流れとか、そういうもので何かを発見することは多い。意志の力は信用できないところがある(と、年々強く感じるようになってきている)。自分の中では「創発的なグッドバイブレーション」と読んでいるけど、それが一番重要かもしれない。

あるいは、計画などせずとも、ただただ一心不乱にフロー状態に入れるなら、それが一番。そういう人はある種の天才だ。

そもそも、冒頭に書いた通り、ちっとも計画できていない。そういう性質を持っていない。いや、計画はできるが、計画通りにモノゴトを進められない。トラブルも割り込みもある。当然ながらひとさまあっての我が生活、全て自分の思い通りにできるわけではない。なにより、ダメな、テキトー部族の自分もいる。

にも関わらず、コントロール願望を強めすぎると……、どこかで破綻する。全てを手中に掴んでおきたいと思えば、終着点はストレスまみれ。

ということで、その塩梅が難しい。中庸、というのが一番難しい。というのが今のところの感触。