Notelets

誰かのために何かを作る日々の断章。試論。仮説。フィールドノーツ。

読むべき本にたどり着くためのマイ現実解

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「読むべき本」というのは存在するのだろうか。

通常、もちろんそれはその時の目的次第だろうと思う。例えば仕事である分野、製薬業界、について知らなければならない時には、そういう本があるはずだ。

しかし、「読むべき」と言われると、なぜだか反感を覚えてしまう自分もいる:-) 何を読むかくらい、自分で決めさせて欲しい。他人に言われて読む本はおもしろくない。……我ながら子どもっぽいとも思うが、そういう感じが抜けない。

例えばインターネッツで、「人生を変えるために読むべき5冊」なんていう見出しを見ると、『なんで俺の人生について、他人がどうこう言えるんすか?』と思っちゃう。まあいちいち反応するようなモノでもないとは思うし、ことばのアヤ、コピーライティングのアヤというモノだろう。

▼読むべき本の探し方ベーシック

とは言え、そういう作業をすることもある。今の自分のやり方を残しておく。

ジャンルや学問としての分野が確定されているようなものについては、読むべき本を挙げやすい。そしてそのリストには説得力を伴う。

例えば英米文学について体系的に学ぼうと思ったら、シェイクスピアから始まり……というある種のベーシックがあるはず(聖書かギリシア神話からかな?)。

そしておそらくそうした読むべき本は、その分野の入門書にまとまっている。あるいは、そのものズバリ、「社会学の名著30」というようなぐあいでブックガイドがある。いずれも専門家が書いているはずで、特に大学教授というような肩書きがある人なら、そうそう大外しはない。

あるいは、勉強的なことでなくとも、ガイド本が出ているものも多い。ミステリ小説ベスト100とか、「このミス」とか、どの作家がどういう作風で……と知り、自分が読むべき・読みたい本にたどり着ける。

そこまでジャンルが確立していなくとも、かなり絞られたテーマなら、読むべき本を見つけやすいはず。例えばあるプログラム言語を学ぼうと思ったら、「Python 本」などとGoogleに聞いてみると、いろいろな人がいろいろなことを言ってくれるはず。

もちろんひとつひとつの検索結果は、玉石混交というか信頼していいのかわからない。とんでもなくマイナーなものやキワモノが読むべきリストに入っているかもしれない。しかしいくつかのサイトを眺めてみれば、平均的に認められている本が見いだせる。あとは書店で自分の目と手で判断すればいい。

まとめれば、

①入門書やガイド本があるならそこから探してみる。
②ないなら、複数の情報をつなぎ合わせてみる。

……というところか。普通。②から始めてもいいのだろうが、信頼性を優先して①から始める。


▼問題は、そこまで系統だっていないもの

これまで書いたような、ジャンルや分野が整っている分野、あるいは検索キーワードにできるテーマは難しくない。

しかし、そこまで系統だっていないものや、検索キーワードにしづらいようなものもある。

例えば、「人生」とか「教養」なんていうテーマは、キーワードが大きすぎる。おそらくぼやけた解しか返ってこないのではないか。

あるいは、その課題に対して、適切な名前が見つからないこともある。例えば、今のこのモヤモヤした気持ちが「インポスター症候群」だと知らなければ、その対策(=読むべき本)にたどり着きようがない。あるAという曲がXというジャンルだと知らなければ、もっと同じような曲を聴きたいと思っても、他のアーティストを探せない。言い換えれば、その情報に直接たどり着くことはできない。探索しなければならない(本の話じゃないけど)。

▼ではどう「読むべき本」にたどり着くか

他人が教えてくれる本を探すのは簡単。しかし、そのひとさまも、課題がなんなのかわからなければ、答えようがない。

もしくは、その課題はとても個人的なもの、あるいはマイナーなもので、他の人が気付いていない問題かもしれない。そういうのは意外に大事だったりもする。

だとすれば、もし書物という世界で答えを探そう、書物を使って考えようと思うなら、乱読しなければならない

言い換えれば、いろいろいろいろ読んでみる。眺めてみる。そのなかからピンとくるものを見つけ出す。ヒントを得る。結局のところ、そういう段階を経る必要があるのではないか。

(インターネットの検索も、結局は同じことをしているのかもしれない。あれこれみてみる、そして価値があるものを拾い出す。……しかし、近頃は検索結果がなんだかイケてない、と感じていて、インターネッツの海を泳ぎ続けることができない)

おそらく「本読み」な人たちは、自然にそういうことをしているのだろう。これの行き着く先が、文献系の学者さんなのかもしれない。

もちろん金も暇も必要で、「コスパ」は悪いかもしれない。インスタントな答えがあふれる時代にはそぐわないのかもしれない。時代遅れ。しかし、その価値はある、というのが個人的な感想だし、それ以外の方法を知らない。若くて賢い今の人たちは、どうしているのか知りたい。

(学術的には、一定の手法があると思う。あるいはビジネスのリサーチの世界でも、ある。例えば⇒リサーチナビ https://rnavi.ndl.go.jp/rnavi/ しかし結局、いろいろ目を通すということには変わりないように思っている。)

▼「乱読」の個人的方法

そもそも乱読なのだから「方法論」みたいなものはないと思うのだが、個人的な「こうしている」はある。記録として残しておく。

キーワードにすれば、「眺める」ということになる。

読む、というよりも眺める。ざっと読む。目を通す。そんなニュアンス。

当然ながら、乱読だからと言って全てを読むことはできない。というか、きちんと読んでいたら、いつ「本丸」にたどり着くかわからない。だから、まずは冊数を優先する。

具体的には、ある分野を学ぼうと思ったら、まず書店で多くの本を手に取ってみる。もちろん売り物を傷めないようにしながら、ざっと眺めてみる。そして1冊に絞るのではなく、数冊買う。新書や選書でそういう入門書があれば、うれしい。もしくは、図書館で借りてくることもある。

分野が特定できないなら、(仮)として、とりあえず関連がありそうな棚から選んでくる。

そして一冊一冊を初めからきちんと読んでいくのではなく、ざっと全てのページに目を通す。そうすると、なんとなく、「これが良さそう」という直観が沸いてくる。

そうしたら、その本をきちんと読む。そういう2段階の読書をする。

つまり、いったん本を積み上げてみて、眺めて、そこから選び出す。2段階乱読法。ということになるか。

▼なぜ2段階か

個人的には、集中力がない方だと思っている。だから、たくさんの本をきちんと読む能力がない。よって、こうして集中すべき本を選び出すようにしている。自然に、ダメな自分への対応策を作っていた感じ。

とは言え、例えばあの佐藤優氏もそんな読み方をしているようで、原理としては間違っていないのでは、と思っている(もちろんわたしなんぞを佐藤氏と同列にしていいわけないけど)。

読書の技法   佐藤 優
https://www.amazon.co.jp/dp/4492044698/

きちんと読まなかった方の本を後から読むこともあるし、それで何かを得ることも多い。初めはピンとこなくても、後から理解できることも多い。どの本も何か教えてくれる。考えさせてくれる。

逆に言うと、自分とそりが合わない本で挫折しないようにする、という側面もあるかもしれない。ピンとこない本に執着して、本当はおもしろいテーマをつまらないと思ってしまって、そこでやめてしまうのは……、もったいない。

さらに、自分が選んだところから入っていくほうが、楽しいのではないだろうか、とも思っている。ひとさまのリストはありがたいものだが、まるきり受身ではつまらない。むしろ苦しいとさえ言えるかもしれない。しかし自分で選択したものなら、前向きに取り組める。苦しさというより、希望になる。そんな性質の違いを生むのではないか。そんな気がしている。

 

 

言ってみれば、

・ひとさまの作った「読むべき本」リストはまあいいとして、
・自分なりの「読むべき本」を作れるようにする。

……ということになるか。

だとすれば、冒頭に書いたような「反感」は生じない。また、「読むべき本」は存在するが、それは自分で作るもの。そう捉えている、と言えるかもしれない。