Notelets

誰かのために何かを作る日々の断章。試論。仮説。フィールドノーツ。

読書の記録の最大の課題(仮)とある方法(仮)

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何かを学ぼうと思った時、「読書記録」という技術がある。読書ノート、というべきかもしれない。

書店に行けば読書の技術についての棚があり、Googleのお世話になってみれば、懇切丁寧にその方法を教えてくれるサイトがある。先生がたくさんいる。魅力的な解が並んでいる。それだけみなさん貪欲に学ぼうとしているのだろう。すごい。

個人的にも、読書の記録を残したいと思うし、残している。

しかし、それらが先生たちの言うとおりにできているかと言うと……、まったくそんなことはない。マメで丁寧できっちりして細かい作業をいとわない人は、充実した読書記録を残せるのだろう。しかし筆者はあらゆる面でずさんで根気が続かない。ひとさまにお見せできるようなものはまったく残せていない。

とは言え、あるていどは有効に使えている。なんとかなっている(と思いたい)。……ということで、その方法を残してみる。自分に似たような人もいるかもしれないので。

ついでに前段として、なぜうまくいかないか、その核心なのではないかと思っている要素にも触れておく。こちらもご参考まで。

▼読書記録の理想像

学び、という実際的な課題について言えば、読書記録の理想的なかたちは以下のようなものになるだろう。

  • 読むべき本のリスト、書誌情報が完備されている
  • 読んだ本のリスト、書誌情報が完備されている
  • 読んだ本についてのメモ、ノートが再利用可能なかたちで残されている
  • 上記をいつでも簡単に引きだせる仕組みがある

特に難しいことはなさそうにも思える。ただやればいいだけ。特殊な技能は必要ない。

▼読書記録にはどういう手法があるのか

一般的には、以下のような方法が考えられるだろうか。

  • (紙の)読書カード、読書ノート
  • Evernote、Notionなどのノートテイキングツール or サービス
  • スマートフォンの読書アプリケーション
  • ブログに残す
  • Excelなどの個別のアプリケーション

こちらも、何か特別な手法があるわけではない。みんな使っている道具だし、単に字が書ければなんとかなるはず。

▼読書記録の課題

読書記録を残そうと思った時の課題を想像してみると、以下のようになる。

  • 「どうやって書いたらいいのかわからない」
  • 「続かない」
  • 「めんどう」
  • 「整理できない」
  • 「なんのためにやってるのかわからなくなる」

続かない、というのが最も多い感想かもしれない。

▼課題の核心(の仮説)

読書記録の方法は別に難しくない。
しかしそのハウツーを求める人は多い。つまりできない人も多い。
何が問題なのか。

きっと、「完璧主義」なのではないかと妄想する。

読書記録を残すなら、立派なものにしなくてはいけない。読んだ全ての本について何か残さなければならない。良い本を読まなくてはならない。完璧な読書記録を作りたい。必ず感想なりなんなりを残さないといけない。……そういう思い込みが問題の核心なのではないか。という仮説。

そもそも、読書記録をつけようと思う人は、何かを貪欲に取り入れようとしているだけではなく、知識を整理し、整え、残そうとしているまじめな人だ。混沌とした書物の世界に秩序を採り入れようとする人だ。

完璧主義とまではいかなくとも、秩序を志向する人なのは間違いない。

しかしその秩序を保とうとするのは、なかなかに大変。はじめはいいが、どこかでキズが生まれる。維持するコストがかかる。ゆえに、「続かない」。

あるいは、この秩序を求める性向が強くて、自然にきっちりかっちり整えることができる人もいる。そういう人は、きっと研究者だったり何かのマニアだったりして、現代では特に尊敬を集める。

しかし多くの人は、そこまで至らない。無意識に秩序を求めつつも、勝手に理想像を作り(あるいはメディアなどに「こうすべき」を与えられて)、そして現実に幻滅する。初めはその人なりの完璧を保てるが、いずれ疲れてしまう。常に秩序だった人格を維持できるわけではない。結果、「続かない」。

▼読書記録における最も重要なコンセプト

ということはつまり、読書記録をつけるうえで最も大事なことは、

 

てきとうにやる

 

……ということになる。あるいはがんばりすぎないとかきっちりやり過ぎないとか、そういうことでもいい。

もともときっちりできる人がうまくこなしている景色を妄想して、それと比較して、萎える。あるいは検索上位を目指すメディアが「こうするといいよ」と見せてくれるユートピアを探している。これはもったいないというか、だまされているとさえ言えるかもしれない。少なくとも、現実に即していない。

「いやいや、それはオマエが完璧主義なだけでは?」という指摘もありうると思う。確かにそうかもしれないが、むしろ自己認識としてはずさんな方だと思っている。

ただ、人はそれほどわかりやすいものではないとも思う。ある一面で完璧主義だからといって、全ての面でそうかと言えばそんなことはない。もし本当にあらゆる面で完璧主義なのだとしたら、かなり生きづらいことになってしまう。世の中はテキトーだらけだから。

あるいはもし平均点をつけるならずさんな方だとしても、ある一面ではとてもこだわる、ということもある。

ある面では「こうすべき」とほとんど無意識レベルで考え、別のある面では本当にずさん。これが時の流れとタイミングで変わったり、入れ替わったりしていく。そうしたうつろいやすい性質があって、あるときは読書記録をきちんとつけようと思い立ち、しばらくするとおざなりになって、その結果、続かない。

ゆえに、てきとうにやる。書きたい時は書けばいいし、残す気にならない本であれば遠慮なく横に置いておく。「読んだ本は全て記録する」などと誓いを立てれば苦しくなるだけ。「一行感想を残す」と決めていたとして、それができなくても気にしない。

▼ではどう読書記録をつけるのか?

幸いにして、今のノートテイキングツール、例えばEvernoteなどは本当に良くできている。すごいと思う(今現在のEvernoteにはいろいろ批判もあるようだが)。

これらのデジタルノートツールに、好きな形で書いていけばいい。

1枚の紙(比喩的な意味で)に、読んだ本や読みたい本をリストをまとめたり。
1枚の紙に、1冊のメモや感想を残したり。
あるいは1枚の紙に、あるテーマの複数の本についてのメモをまとめたり。
あるいは、Evernoteの中にある業務日誌的な紙の一部として「●●●●を読了」とだけ書いたり。

どんな形でもいい。

そして、これらをフォルダにまとめておく。

フォルダにきっちりまとめることができないかもしれないので、その場合はタグを使う。

どんな文脈の読書記録でも、どんな形式、入力方法、手書き(ならばEvernoteスマートフォンアプリで画像化して)、スマホのこといで撮った書影……etc.でも、ただそこにタグを付けておく。

「#読書」などとタグを振っておく

つまり、雑多な入り口から入ってきたものが、「#読書」というタグ一箇所に集中する、漏斗のようなイメージ。

これらを引き出すときは、そのタグで検索すればいい。これが、自分の読書記録であり、読書ノートであり、学んだことすべてだったりする。

言いかえればタグを付ける。そのルール1点だけ守る。その他の書き方とか形式とかフォーマットとかは気にしない。読んで、何も残さなかったものは気にしない。重要なものならまた立ち現れるはず。


▼しかし、それでいいのか? 「使える」のか?

確かに、これは最も効率的な道ではないかもしれない。学術的な精密さを求められる場面ではもの足りない。しかし一方で、多くの人に「有効」かもしれない、とも思う。ゼロよりは30点でも70点でもとれた方がいい。

読書に前向きな人。そこから何かを得ようとしたり。読んでもなかなか身につかないと思っていたり。読書習慣を身に付けようとしていたり。少なくとも、そういう人のきっかけにはなり得る。

例えば専用の(紙の)ノートを買って、そこに読書日誌が集まっている、というのは楽しい景色だ。読書専用のノートも売られている。そういうことができる人に憧れる。もちろんそれが楽しみで、それができる人はやればいいと思う。ある種の強みだと思うので、それを仕事に生かしたりしてもいいかもしれない。

しかし、多くの人が日記を続けられないのと同じく、読書記録もなかなかそういう域には達しない。ゆえに、「てきとうにやる」。

しかしそれにしても、読書記録をつけることがいいことなのかどうなのか、ということも思っている。それを必要としない人も多いのではないか。続かないのは、必要としていないからなのではないか。何か「これからの時代を生き延びるために、本を読まなくてはいけない、吸収しなければならない」というようなプレッシャーを外側から与えられ、ムリをしていないか。

少し話を大げさにすれば、「自己啓発」みたいなものは、諸刃の剣。確かにそれで人生が改善するかもしれないが、場合によっては「こうでないといけない」「自分はかくあるべき」的なものに押しつぶされそうになっている人も見る。

だから、もし読書記録がうまくいかないなら、別にそれにこだわることはないと思う。別のその人なりの方法、道を見いだせばいいのでは、と思う。そこれそ「適当」な道を。

寝る前の読書についての覚え書き

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夜、寝る前に、布団のなかでぬくぬくとして、そして好きな本を読むのはなんともおちつく時間だ。

寝る前にする読書、というのがどれくらいの人がやっていることなのかはわからないが、ひとつの安眠の方法だという気はする。

これについてずっと前から不思議に思っていることがある。布団の中で物語を読みながら眠りに落ちつつある時、読んでいたところのさらに先を「読んでいる」ことがある。実際には読んでない。目はつぶっている。つまり、その先を脳内で勝手に作り出している。読んでいるつもりになっている。なんでそんなことをしているのか。それだけにとどまらず、そのお話に何かしらの感想を覚えたりする。

寝る前の読書は「いいこと」なのか?

それにしても、寝る前に本を読むのはいいことなのだろうか。そもそもなにがいいことなのかよくわからないので、あまりいい問いではないのは承知で。

寝る前に読んだことは、記憶に残りやすい。……という話があるようだ。そういうこともあるかもしれない。とも感じる。

筆者の場合、英語を集中的に学ぼうとしていた時、寝る前に単語集的なものを読んでいた。これが習慣になっていた。確かにその時期は、英語力が少しは上がったような気がする。……とは言えもちろんその他の時間も英語に触れていたので、「寝る前英単語」が効いたのかはよくわからないけど。

読書はストレス解消になる、という話もあるらしい。そうかもしれない、と思う。もし本当にそうなら、寝る前に少しでも穏やかな気持ちになって眠りに落ちるのは、悪いことではないだろう。

こういうことを医師や研究者がなにかしらのエビデンスを元に語っているのを目にしたことがあるような気もする。「研究の結果、1日30分の読書がストレスレベルが下がることが……」みたいな。しかし、こういうことは極めて属人的な性質のもので、全体としては確かに医師が言うことが正しいのかもしれないが、それが自分にとっていいことなのかはまた別の話、とも思う。何を読むのかでも変わるだろう。

個人的には、寝床で本を読む生活を少なくとも30年ぐらいは続けているように思う。とすれば、自分には合っているのだろう。もっとも単なる悪癖という可能性もあるが。基本的にはいいことなのだと思いたい。

何を読むか?

以前に聞いた話で、その人は寝る前にマンガを読むらしい。それが至福の時間だとか。すばらしい。

その時、未読のものではなく、すでに読んだものを読むとも言っていた。確かに、楽しみに待って、買ってきて、新しく読むのは「寝る前読書」とは違う気もする。マンガの新刊はお楽しみの時間で、お茶とお菓子とともに、というニュアンス。これから眠ろうとする時は、楽しみというよりリラックスの時間だという感じがある。

個人的には、軽いエッセイとか旅行記が多い。やはり再読のことも多い。有名なもので言えば、外山滋比古『知的生産の技術』などのエッセイ、あるいは司馬遼太郎の『街道をゆく』シリーズなど。つまり、何かを強く訴えてくるわけでもなく、著者の態度が良識的なもの。かつ、途中で寝落ちしても後に響かないもの(物語のたぐいは、変なところで中断してしまうと味が落ちる気がする)。

寝る前ホラー

ホラーを好んで読んでいたこともあった。悪夢を見そうな気もするが、そんなこともない。おそらく、現実と切り離された世界に心を遊ばせることで、ストレス解消になっているのではないだろうか。

例えば『新耳袋』のシリーズ。実話怪談というジャンルをブームにした立役者。多くのフォロワーを生んで、それが今の怪談ブームにつながっているらしい。

ただし、今、書店の棚に並んでいる実話怪談の多くは、怖がらせようとおどろおどろしく、少し子どもっぽく感じてしまう。もうちょっと抑制の効いたものが読みたい。

幽霊というものを信じているわけではない。しかし、「もしかしたら、そんなことがあるのかもしれない」と思わせてくれる瞬間がある。そういうホラー、怪談もある。これも、実世界と切り離される効果があるのかもしれない。

寝る前に難しい本、マジメな本

難しい本はどうか? 確かに、寝やすい。すぐにまぶたが落ちてくる。安眠効果抜群。

とは言え、難しい本をあえて読む、しかし2ページだけ、という遊びもある。哲学の本がいいかもしれない。例えば見ているモノと、モノ自体について語られているページ(もう意味がわからない)を読む。そして目をつぶり、ライトを消し、その内容を、吟味する。

これもある意味、現実と切り離された世界に遊ぶことになのかもしれない。形而下でなく形而上。つまり、哲学者が問題にしていることは、筆者のような日々の生活に追われる凡人にとって、関係のない世界だ(とここでは断言しておく)。結果、よく眠れる。

あるいは、前述の英語を学んでいた時に、単語集を読んだと書いたが、正確に言えば「英語に関する読み物」だった。布団の中で「憶えよう!」という気にはならない。ただ気軽な気分で、今、集中しているテーマをより楽しむために、というニュアンスで読んでいた。例えばこういう↓、そのテーマの周辺にあるもの。

⇒英語の語源 (角川ソフィア文庫)   石井 米雄
https://www.amazon.co.jp/dp/B07GN4WTSP/

⇒英語の歴史 過去から未来への物語 (中公新書)   寺澤盾
https://www.amazon.co.jp/dp/B00LMB2VQ2/

どう読むか? Kindleのことなど

とは言え、横になって読むのはあまり便利な体勢ではない。本をどう保持するか、どうめくるか、どう疲れないで読むか、どう眠りの体勢に入るか……。コツがいるというか、みなさんきっと、自分なりの体勢があるだろう。

例えば電子書籍Kindleはどうか?

スマートフォンKindleは、個人的には読む気にならない。画面小さすぎ。「ブルーライトが睡眠を阻害する」というような話もあるようだ。個人的にはよくわからないが。

Kindleの、Paper white、つまりKindle専用の白黒のアレは、結構使っている。特に寝床本にはぴったり、という気がしている。

暗くても読める。めくる動作も1タップで簡単。寝落ちしても、自動で電源がオフになる。また読み進めたところがまちがいなく保存されている。

寝る前に限らず、Kindleで読むのは紙に比べて理解度が下がる気がしている。しかし寝床本はたいてい気楽なものを読んでいるので、あまり問題にならない。機能的な面も心理的な面も、かなりパーフェクトなのではないか。

iPadKindleという手もある。が、まず9インチ10インチは、寝床本としては大きい。じゃあminiで、となるが、それでもちょっと重いのが気になって、続かない。

どう読むか? 体勢とか

どんな体勢で読むか、というのも重大な課題。

あおむけで、普通の高さのマクラで、というのは厳しいだろう。腕で本を持ち上げておかなかければならない。すぐに疲れる。じゃあ、ということでクッションなどで頭を高くして、というのはある。本は腹のあたりに置くことになり、持ち上げなくていい。

うつ伏せで、胸の下になにか挟んで顔を持ち上げ、というのもありそうだが、個人的にはつらい。

最も多いのは横向き。首を高めのマクラで安定させて、本は手と布団で保持する。

このとき、メガネ族の泣き所がある。マクラに完全に頭をあずけてしまうと、メガネがズレる。マクラでメガネのつるが押され、おかしなことになる。当たり前だけど。

そうならないよう、まず本は片手で持つ(下側の手)。そしてもう片方の手(上側の手)は、頭の下に入れて、メガネのつるがマクラと干渉しないようにうまいコトやる。

(……改めて文字にしてみたら↑こんな感じになったが、実際には自然にそうしていただけの話。それにしても、どうでもいい話)

寝ながら読むための専用の場所を作ってしまう人もいるようだ。ハンモックに立派な「空中読書台」を組み合わせている。すごい。↓

灯り・ライト・読書灯のこと

上記の記事でも語られている通り、灯り、ライトは重要だ。具合が悪いとすぐに疲れる。若い時は気にならなかったが、加齢と共に環境が重要になってきている。

寝る前に、ということでいえば、やはりタイマー付きが安心。そしてやはり、白い・青い光は目が覚めすぎるように思う。個人的な選択基準は、暖色系・タイマー付き・充電式(コードはうっとうしい)というところ。Amazonなんかにある安いものは、すぐにダメになるイメージ。接触不良?か何かですぐに使えなくなったことが2〜3回あったので、それなりの値段を出すようにしている。

片手で文庫か新書

そういうわけで、個人的な寝床本は、紙の場合は片手で読める文庫か新書になる。

片手で保持したまま、その手でめくる。これを誰かに言ったら驚かれたことがあるが、誰でもやっていることなのではないか。

個人的には、新書ぐらいまでならそれができる。それ以上の大きさ・重さの本はつらい。あまり厚いのもやりづらい。

もちろん、紙のあんばいで、片手ではめくりづらいこともある。また、マンガは、めくる動作がひんぱんなので、ちょっとストレスかもしれない。

Kindleなら判型の制限はなくなる。結局、寝床本はKindleが一番、ということになるか。マンガを読むにはちょっと小さい気もするが、若い人は気にならないのかもしれない(スマートフォンでも読んでいるようだし)。

「趣味は読書」とする場合の注意点 ほか。

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「趣味は読書です」。……という人がうらやましい。

これまで少しは本を読んできたとは思うが、趣味というよりは、仕事や生活上の課題があるから、読まなくてはならないから読む。そういう姿勢で読んできた。

だから『バーナード嬢曰く。』とか『書店員 波山個間子』とか、憧れを持ちながら楽しく読む。

バーナード嬢曰く。: 1 (REXコミックス)   施川 ユウキ
https://www.amazon.co.jp/dp/B00JIFLWM8/

書店員 波山個間子 1巻   黒谷 知也
https://www.amazon.co.jp/dp/B085DMMMSB/

 

『ド嬢』の友人たちのように、図書館で過ごしたい。あるいは波山さんのように、カフェで、好きな本とコーヒーとスイーツの "ゴールデン・トライアングル" を楽しみたい。……などと思う。他にも読書を扱った本は多く、みなさん楽しんでいる。自分も、本があれば幸せ、と言ってみたい。

しかし現実は、必要な情報を探して読み飛ばし、書き込みで本を汚し、ハッタリを効かすために権威の本を手に取る。……そういう、きわめてプラグマティックでつまらない読書生活を送っている:-)


「趣味」欄に「読書」と書くこと

就職活動などで履歴書や自己PRの文章をを書く時。久しくそういうことをしていないので忘れたが、「趣味」欄の内容に困って、「読書」と書いてしまう場合があるかもしれない。だって「ソシャゲ」とか「推し活」とか書きづらいもんね。

その場合の読書は無難な選択だが、もちろんインパクトが足りない。あるいは、本当に読書が趣味でないなら、面接で何か聞かれたときのために、本について何か語れるようにしておかなければならない。

「どんな本がお好きですか?」と聞かれた場合のベストな答えを探る

ここから、いわゆる独断と偏見で、面接で好きな本を聞かれたとき、どう答えるのがいいか探っていこう。

それらしい系

それっぽい本はどんなものだろうか。落合陽一? いいかもしれないが、面接官に理解されないかもしれない。ちょっとめんどくさいと思われるかもしれない。ひろゆきとか堀江貴文も、面白いのだろうが面接にふさわしいとは考えづらい。

では、いっそドラッカー? これはありかもしれない。特に面接官が50代以上の場合。ただし面接官が喜んでしまって、突っ込んだ質問がバンバン飛んでくるかもしれないのでややリスキーか。

稲盛和夫とか松下 幸之助はどうだろうか? きっと、まじめな人なんだと思ってもらえる。これもやはりおじさん面接官には受けがいいだろう。司馬遼太郎、というのも同様。これも突っ込まれる可能性があるので、名言をひとつかふたつ、引用できるようにしておくといいかも。「商売とは、感動を与えることである。」とか。

少し前なら、若い人の間では沢木耕太郎深夜特急』が定番だったのかもしれない。馬力があるやつ、と思われるかもしれないが、容易に "自分探しフワフワ系" に陥る可能性があるのでその点には気を使わないといけない。

SF 未来志向かつ知的なムード

SF、というのはなかなかいいかもしれない。特に、フューチャーをクリエイションするクリエイティヴィティ系の会社には。その場合、間違っても『スターシップ・トゥルーパーズ』などと答えてはいけない。バトルものはダメ。だいいちこれは映画だ(私は大好きだが)。『宇宙の戦士』と答えるならまだマシ。

例えば、アーサー・C・クラークアシモフ。このあたりは無難なはずだ。J・P・ホーガンとかも。良識・良心。

ギブスン、フィリップ・K・ディック、レム、グレッグ・イーガンあたりは……、何かの研究室みたいなところに入りたいならいいかもしれない。建設業ではちょっと違う。

SFがふさわしい企業の場合、今なら、「最近では『三体』です」と答えておけば間違いない。

自己啓発

7つの習慣』とか『チーズはどこへ消えた?』、『仕事は楽しいかね?』、あるいはナポレオン・ヒル?とかは、まあマジメ過ぎると思われるかもしれない。内容がどうとかということではなく、自己啓発系は扱いが難しい。相手もそのスジの人ならいいが、もし宗派がちがうと……。

エンターテインメント系

ミステリ小説はどうだろうか? アガサ・クリスティコナン・ドイルシャーロック・ホームズは知的な人と思われるかもしれない。横溝正史は……ちょっと微妙。おもしろいのはわかるが。宮部みゆきとか、そのあたりの日本のエンターテインメント作家の名を挙げれば、「いい人そう」となるかもしれない。江戸川乱歩? ちょっとアナーキー過ぎやしませんか。

古典の力を利用するのはどうか?

いっそ古典、という手もある。これは間違いない。なにせ誰もが認めるものが古典になっているのだから。しかし古典と言っても何が古典なのか判然としない難しさもある。

聖書はやり過ぎだろう。確かに人間性というものについての根源的な理解がつまっているのかもしれないが、特に20代の就活という場を考えた場合には、ちょっとやり過ぎ感はある。めんどくさいやつ、と思われるかもしれない。50代での転職、ならいいかもしれないけどね。

ではギリシア神話。アカデミックな人、という印象になるか。少し広げて、神話が好きだというのはあるかもしれない。『スターウォーズ』をきっかけにジョゼフ・キャンベルに興味を持って、そこから神話を読むようになった、というのはいいストーリーかもしれない。知的な会社なら。そうでなければ「へぇ……」と感心とも苦笑いともとれる微妙な反応になるのがオチだ。

シェイクスピアとかドストエフスキーとか……欧米の大作家は、いわゆる権威なので間違いない。ディケンズとかメアリ・シェリー、ジョージ・バーナード・ショーとかいろいろ。これらは、相手も「ああ、そうですか、名前は聞いたことあります」……となって話が終わりそうな気もするんで、無難かもしれない。細かく突っ込まれたら困る。

そこまでの古典ではないかもしれないが、『薔薇の名前』や『失われた時を求めて』も捨てがたい。マンガ版や映画版があるはずなので、それぐらいは見ておいた方がいいだろうが。

ビジネス系

いっそ、ガチビジネスな方向に行くのもいい。趣味としての読書とは少し違うかもしれないが。全体として、意識高い。

例えばマイケル・ポーターはどうだろうか。競争戦略について、少し語ってみると感心してもらえるかもしれない。あるいはフィリップ・コトラー。デービッド・アーカー。これらはマーケティング分野のグルなので、間違ってもマーケティングの会社では言ってはいけない。ボロが出る。しかし非マーケティング業の会社なら、「へぇ……」と+10点ぐらいもらえるかもしれない。

ついでに、『Forbes』も定期購読しています、としてもいいかもしれない。いや、日本版じゃなくて本国版。『FAST COMPANY』でもいいかもしれない。もちろん「こいつは英語がいける」と思われて後々ピンチを招くかもしれないので、そこはアット・オウン・リスクで。

あるいは『ハーバード・ビジネスレビュー』とか? 新卒だとちょっとやり過ぎ感はあるが、転職ならいいかもしれない。イバリは効く。ただし「最近読んだ論文は?」となってもよくないので、実際に目を通しておくことをお勧めする。高いけど。

より平易に、『東洋経済』とか『ダイヤモンド』は無難だろうけど、どうしても「就活に合わせて勉強してきた感」が出るかもしれないので要注意。……いやそもそも、趣味の読書じゃないか。しかし両紙の「ブックレビューを参考に、知見を広げています」というのはポイントを稼げるかもしれない。マジメ。

その他あれこれ

マニアックな、その分野のクロウトしか手を出さない本、というのはおしなべて無難かもしれない。いかにもクールでヒップでナウなフィーリングを醸し出せば、「なんかおもしろいやつ」ということになるかもしれない。よく知らないけど『Wired』とかに紹介されている本がいいのかね。面接官は知らないはずだから、「どんな内容の本ですか?」と聞かれたときにもボロが出にくい。

ちょっと変わった、ニッチな分野に特化するのもいいかもしれない。例えば……、そうだな、「発酵」とかはどうだろう。食文化でもあり、人類史でもあり、化学でもあり。マニアックに突っ込んでいく趣味。そういう性質を持った職種なら、面接官にいいアピールになるかもしれない。研究職とか専門職とか。もちろん大学で研究したことなどでもいい。ただ、ニッチ過ぎても話が広がらないし、歴史とか王道過ぎてもインパクトに欠ける。歴史なら、「東欧の歴史に興味があって……」などと答えるとちょうどいいかもしれない。「どのへんが面白いんですか?」となるので、もちろん答えは用意しておくべきだが。

「モモ」とか「星の王子さま」、「ゲド戦記」などの海外のジュブナイルというのかヤングアダルトというのか、そのあたりの高名な物語も、場合によってはいいかもしれない。それを大人になっても好きで読んでいるというのは、なんだか人として高級、と思える(というのは読書人に憧れている筆者だけかもしれないが)。おそらく英語をそこそこやった大学生なら原著も読めるはず。そうなったらかなりポイントが高い。

ラノベ、と言われるような棚もあった。もちろん優れたものも多く、何より楽しい(のだろう)。……しかし、どこか、就職面接の場にふさわしくない感じがしてしまうのは、時代遅れの感覚だろうか。もちろん本当に好きなら貫けばいい。面接官も好きかもしれない。その場合、少し、評論というか、文学研究の要素を持ち込むとウケるのではないか。例えば野崎まどと、アーサー・C・クラークなどの大家のつながりを論じるなどして。

西村賢太とか、ちょっと昔なら開高健とか、そのあたりの、人々の体臭がしてくるような文学は……どちらかと言えば、個人的には職場というより酒場で出会いたい。

ああ、忘れていた、村上春樹があった。王道ですね。

結論

こうして考えてみると、一番無難なのはアーサー・C・クラークアイザック・アシモフなど、欧米の良識あるSFが良さそうだ。知的な感じもあるし、かと言って偏った・扱いの難しいヤツとも思われづらい。村上春樹ほどメジャーではないだろうから、少しエッジも立つ。

もし面接官が「?」という顔をしたら、『2001年』や、「ロボット三原則」のことを持ち出せばいい。このあたりのキーワードなら、きっと誰もが聞いたことがあるはずで、少しは話が広がるだろう。

もしあなたがあまり本を読まないタイプなら、こんな本↓もあるので目を通しておくのもいいかもしれない。

読んでいない本について堂々と語る方法 (ちくま学芸文庫)   ピエール バイヤール
https://www.amazon.co.jp/dp/B085DMMMSB/

 

ただし問題があって、人をくったタイトルにも関わらずというかなんというか、この本は明らかに読書人向けに書かれていることだ。よってこの本も、読まずに済ませる本になるのかもしれない。ループしてきたけど。

(なお、当然ながら上記の本の内容、またその善し悪しは一切問題にしていない。どれも誰かの役立つものだろうと思う)

読書にカードを使う方法|精読・記憶・習慣化

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読書の補助ツールとして、「カード」を使うという手がある。カードとは、物理的な、紙のカードのこと。

↓こんな人に有効かもしれないとも思うので、その方法の一例を残しておく。

  • 本をより深く読みたい
  • 読書習慣を身につけたい(あるいは子どもに身につけさせたい)
  • 読んだことを自分の中に定着させたい
  • より読書を楽しみたい
  •  今の読書がなんだかフワっとしていてモヤモヤする
  • 読書が身についている気がしない

読書記録としてのカード(読んだ本のリスト管理)

カードの使い道として、これが一番わかりやすい。読んだ本を、カードに記録していく方法。

今はどうだか知らないが、その昔の小学校の図書館などにはこういうものがあった。何を書いておくかと言えば、

  • 書名
  • 著者
  • 読んだ日付
  • ちょっとした感想 等

これがあると、何か、書物という秩序のない世界が少し整理されたような気がして、楽しくなる。リストが増えるにつれ、充実感みたいなものも出てくる。もちろん後から思い出しやすくなったり、探せたり、次に読む本を探すときのよすがになったりと、実用的な面も大きい。

 

読書リストとしてのカード(これから読む本の管理)

読書記録と同様の手法が、これから読む本、読みたい本の管理にも使える。これも楽しい。

例えば「ミステリベスト100」というような本から、これから読みたい本を抜き出し、まとめておく。あるいは、行動経済学について学ぼうと思った時、読むべき本を残しておく。良い入門書にはブックガイドがついていることが多い。これを拝借してカードに移しておく。

そしてこれを手帳に挟んでおいて、書店で探す。「このカードに、自分が読むべきものがまとまっている」という状態は心強い。楽しい。

 

読書ノート・読書メモとしてのカード

おそらくこれが、最もカードという形式を生かす方法だろう。伝統的なカードの利用方法だ。

読みながら、その本の重要な部分や、自分が考えたことなどを残しておく。これがたまっていく。厚くなっていく。そうすると、その本をモノにしたという手応えが生まれる。もちろんこのカードを広げ、考えを深めたり、引用できたりという実用的な面も大きい。

何より、メモを残すという作業を想定することで、その本をきちんと読むようになる(実はこの効用が一番大きいかもしれない)。

これについては、いろいろな人がすでに述べている。有名なのは、やはり『知的生産の技術』。↓

知的生産の技術 (岩波新書)   梅棹 忠夫 
https://www.amazon.co.jp/dp/4004150930/

 

最近でも、「ツェッテルカステン」と名付けられた手法がリバイバルされている。↓

TAKE NOTES!――メモで、あなただけのアウトプットが自然にできるようになる   ズンク・アーレンス 
https://www.amazon.co.jp/dp/4296000411/

 

あるいは、イマドキのデジタル戦士の中にも、紙のカードを偏愛する人がいるようだ(ちょっと古い記事だけど)。↓

モカードでの情報整理がすごく参考になる、26歳「メディア王」のアナログな仕事術 | ライフハッカー[日本版]
 https://www.lifehacker.jp/article/131223how_i_work/

 

あるいは、カードの類いは使わず、本に直接書き込んでしまえ、という意見もある。「マルジナリア」と言ったりする。もちろんその段階で終わらせても良いが、そこからさらにカードを作る方法もある。つまり二段階のノートテイキング or カードテイキング。

この二段階をたどると、経験的にかなり記憶に定着する。考えが深まる。多少時間がたった後でも、欲しい時に思い出せる。もちろん作業に必要な時間と手間暇は大きい。よって書物の選択という別のテーマが立ち現れる。

(記憶に残すとか我が物にするとかっていうのは、結局のところその対象にどれだけ手間暇を掛けたかということが重要で、手軽に我が物にする方法などないようにも思える)

 

個人的な「読書ノートしてのカード」の使い方

やや具体的なやり方も参考として挙げておく。この手の方法論はきわめて個人的なものなので、おそらく皆さんは皆さんご自身の方法を編み出されるのがよろしいかと。この手の作業は、すべからくそういうものだと思う。

前提として、本を読みながらカードをとるのは、かなりめんどう。だいいち、机に向かっていなければならない。本は寝床で読むものだ、という人もいる。少なくとも、加藤周一という昭和のえらい人はそう書き残している↓

読書術 (岩波現代文庫)   加藤 周一
https://www.amazon.co.jp/dp/400603024X/

 

というわけで、まず、カードを一枚、その本にはさむ。

そして読み進める。電車でも寝床でもいいが、ペンを持っておくのは必須。

「!」となったりここは重要だと思ったりしたら、そのページ数を、はじめのカードに書く。これなら机にむかっていなくても可能(ペンも持っていなかったら、最終手段としてのドッグイヤー。ページの端を三角に折っておく)。

そして、また読み進める。そうすると、いずれキリの良いところにたどり着く。

その段階で、はじめて机に向かい、先ほどのカードに書いたページ数を見ながら、そのページを参照し、カードをとる。抜き書きしたり、その時に考えたことを残しておく。

つまり、ページ数メモドリブンのカード読書術、とでもなるか。言いかえれば、読書中のメモはページ数しか書かない。

欠点は、「読んでいたその時に考えたこと」が失われやすいことだ。その思考は、一回きり、その場でした浮かんでこないことだったかもしれない。

しかし、別の考え方もできる。少し時間が経って忘れているようなことは、どうせたいした思いつきではない。重要なことなら、そのページに戻ればまた蘇ってくる。あるいは、いてもたってもいられなくなって、すぐにメモをとる。

実際、本に直接、その時に考えたことやアイデアを書き込んでも、後で見返すとたいしたことじゃないというのはよくある。書きやすい状況(=本に直接書き込む)は、どうでもいいことも書いてしまいやすい。

これを繰り返すと、カードの束ができあがり、そしてこれが自分なりのその本のまとめになる。

この後は、ただ保管して必要になった時に見返してもいい。大きな机に広げて見渡して、さらに深く理解しようとしてもいい。手の中で「繰って」、アイデアを求めてもいい。手や体で考えることができる。記憶の定着率も上がる。

 

より楽しむための読書×カード

ここまでマジメな読書について書いてきたが、たんなる遊び・趣味・娯楽としての読書の時も、カードは有効だ。

わかりやすいのは小説。登場人物相関図をカードに書いて、挟んでおく。ミステリ小説や、海外モノで誰が誰だかわからなくなるような小説(ドストエフスキーとか……)などでは特に有効だろう。理解が進むし、迷わなくなる。

例えば作者の表現のくせや用語、プロットの特徴……などに注目してカードを残していけば、それは文学研究に近づいていく。そこまでいかずとも、今「考察」と言われるような深読みして楽しむことにもつながる。

 

デジタルなカード、アナログなカード

これまで「紙」のカードを想定して書いてきた。しかしもちろん、今はデジタルのカードやノートもある。すばらしい。

スマートフォンになれている人なら、パソコンに向かっていなくても同様のことが可能だろう。また、カードはかさばる。けっこう重い。デジタルなら気にしなくていい。

何より、検索できる。これが大きい。紙のカードに残した3年前のメモを引き出すのは、かなり困難。しかしデジタルなら……数文字タイピングして検索ボタンをクリックするだけ(実際、上記「ライフハッカー」の記事は、そうやって引っ張り出した)。

ハイブリッドな仕組みとして、書く時はカードに手書きするけど、それを保存するのはデジタルで、というのもある。一例を挙げれば、

  1. 手書きカードを書く
  2. Evernoteスマホアプリで、カードを写真にする
  3. 名前やタグ、検索用のキーワード等を追記しておく

……という流れ。写真を撮る作業は、Evernoteスマホアプリならそれほど手間はない。スマホ画面にカードを映せば、画像認識をして勝手にシャッターを切ってくれる。つまり、どんどんスマホカメラにカードをかざしていけばいい。さらに自動的にゆがみを補正してくれたりもする。精度の問題はあるが、手書き文字を認識してくれる(こともある)。保存用としては十分なクオリティなのではないか。

……ならば、初めからデジタルで書けばいいのではないか。……というのはまことにごもっとも、と思う。しかし一方で、未だに紙を使っている現実がある。紙のめんどくささを感じつつも、紙に頼ることが多い。

その理由は、我ながらよくわからなかったりもする。これまで書いてきた、下記の要素はある。

  • 広げれば一覧性が高い(何かを考える時、重要な要素)
  • 手で触れる、いじれる、めくれる、繰れる……(からだを使って考える)
  • そこにまとまっている感じが精神衛生上よろしい

さらに、研究者の発表として時々目にする、下記のような要素も、眉につばをしながらも、「あるかも」とも思う。

  • 手書きの方が記憶に定着しやすい
  • 書くことが心を整えることにつながる

さらに言えば、この上なくシンプルなテクノロジーである、というのもある。なにせ、紙はインターネットにつながっていない。それだけで世界を構築している。認知コストは低く、集中を惑わす要素がない。ウェブサイトを見ることと、紙の本を読むこと、どちらが集中しやすいかを考えてみるとわかりやすい。

もうひとつ、「視界に入る」というのもある。デジタルは、そのアプリケーションなりなんなりを起動しないと表示されない。しかしカードは、机の上に物理的なスペースをとっている。よって、視界に入る。視界に入ることで、意識の数パーセントでも、それに向く。そうなることで、ある種の弱い集中を喚起する。……自分で書いていてもよくわからなくなってきたけど。

つまりは、「カードの物理的な存在が、その対象に向ける意識を作ってくれる」ということになるだろうか。

少し飛躍すれば、神社でもらうお守りのようなものかもしれない。それが手元にあって、視界に入ることで、健康や幸福になるよう、少し心が動く。もし誰かにもらったお守りなら、誰かが自分を気に掛けてくれていることを思い出す。そういう、意識と無意識の狭間にあるような「中間意識」とでも呼ぶものが、物理的な存在に呼び起こされるような気がする。紙のカードも、それと同じ。

 

読書習慣を身に付けるためのカード

そういう意味で言えば、子どもや、また読書習慣を身に付けたいと思っている人にも、紙のカードは有効かもしれない。その昔のラジオ体操のカードとかシールとか、そういうものに釣られた人もいるだろう。それに近い側面があるかもしれない。

大人でも、そのカードが視界に入ることで、少しかもしれないが、その行動に対して意識が働く。ふとした瞬間に、本を読むきっかけになるかもしれない。溜まっていく気持ちよさや手応えもあるし、「コントロール感」と呼ぶべきモノも生まれるかもしれない。

このコントロール感というのは結構重要だと思っている。何かに取り組む場合、それが自らやっていることなのか、やらされていることなのか。仕事でも、多少しんどい仕事でも、自分でやろうと決意した仕事は楽しい。ただ上司にやれと言われたことは、まったくアガらない。

読書という習慣も、自分でやりたいと思ったのなら、自分でコントロールすることで楽しさが増す。読んだ本リストやこれから読む本リストは、読書という活動をオーガナイズしてくれる。

子どもには、子ども向けのカードや「読書ノート」も売っているようだ。そういうのも十分に役に立つのではないか。

 

どんなカードを使うか

これはもうどんなものでもいいと思っている。冒頭に書いた通り、この類いの技術は、とても個人的なものになりやすい。誰にもフィットする道具というのは少ない。

ただ、使いこなすに従って大判になっていく、という傾向はありそうだ。前記の梅棹忠夫氏は、結局のところB6サイズまで大きくなった。今でもこのサイズのカードは売られている。例えば↓

⇒コレクト 情報カード B6 京大式 C-602 コレクト
https://www.amazon.co.jp/dp/B003FGLVPO/

 

小さいカードは、同じ量の情報を扱うなら、当然厚くなっていく。通常、厚いよりは大きいほうが扱いがいい。

もしB6が大きすぎるなら、5×3というサイズから初めてみるのもいいかもしれない。欧米ではこのサイズがスタンダードらしい。インチなので、12.5センチ×7.5センチ。片手に収まるサイズで、心地いい。持ち運びもイージーだ。数枚、ダブルクリップなどに挟んでポケットに入れておけばいい。

もしカードを買ったならば、同時にカードケースを買うこともおすすめしたい。今の事務用紙に比べると中途半端なサイズで、しかもとじられていない紙は、扱いが悪い。収納しておくのにも困る。専用の置き場所があると、ぐっとラクに楽しくなるはず。例えば↓

⇒コレクト カードボックス 5×3 蓋無 木製 CB-5302 コレクト
https://www.amazon.co.jp/dp/B00ITLD7NY/

 

個人的には、これを数個、仕事机の上に並べておいて、そこからあふれるものに関しては、デジタル化してアーカイブ、という感じで処理している(広い仕事スペースがあれば、もっと並べておくのだが)。